相馬野馬追と鎌ケ谷市

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 相馬野馬追は、福島県浜通り北部で毎年7月に行われている神事および祭りで、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
 伝説では、その始まりが「相馬氏の祖である平将門(たいらのまさかど)が下総国小金原(こがねはら)に野馬を放ち敵と見立ててこれを追ったことに始まる」とされています。
 鎌ケ谷は、国史跡に指定されている「下総小金中野牧跡(しもうさこがねなかのまきあと)」があるように、小金原と呼ばれていた地です。また、相馬藩主を務めた相馬氏のルーツは、鎌倉時代に鎌ケ谷市域の北部を含む「相馬御厨(そうまみくりや)」と呼ばれる荘園を、下総守護千葉常胤(つねたね)の次男師常(もろつね)が相続して「相馬」を名乗り、その後に本拠地を福島県の行方(なめかた)郡(現在の南相馬市)に移したことに始まります。 野馬追行事もこの時引き継がれたとされています。
 鎌ケ谷の地の相馬氏の支配は、南北朝時代頃には失われてしまいましたが、鎌ケ谷でも江戸時代には、幕府の牧場が設けられ、「野馬捕り」が行われるなど、「馬」を通じた歴史的な縁と共通点があります。
 鎌ケ谷市民まつり実行委員会では、この「相馬野馬追」を平成25年の第39回鎌ケ谷市民まつりで招聘し、以降6回にわたり、鎌ケ谷市内で騎馬武者行列を行っています。